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大多喜城 続百名城No.122 2018年11月11日 1521年に真里谷家により築城された小多喜城を元にして1590年に本多忠勝が現在の大多喜城を築城したと考えられています。連郭式平山城で里見家の北上を阻止するために忠勝が大多喜城の城主になったと思われます。本丸には千葉県立総南博物館があり二の丸は学校の敷地に、三の丸は住宅地になっていますが遺構の確認は少しできます。 Pic1 大多喜城天守閣、本丸にある総南博物館です。当時は三層四階の天守が建てられていて現在の復興天守はそれを復元したものになります。 Pic2 本多忠勝像、大多喜城のから少し離れた行徳橋にある銅像です。この橋の近くにある良玄寺には本多忠勝、忠朝、忠勝夫人の墓所があります。 Pic3 大手門跡、三の丸に位置する門跡です。住宅地になっており碑があるのみですが桝形になっています。 Pic4 八幡神社、大手門跡のすぐそばにあります。三の丸の一部です。 Pic5 二の丸跡、現在は高校の敷地となっていますが全ての郭の中で一番規模が大きく当時は御殿などが置かれた重要な場所でした。 Pic6 薬医門、大多喜城唯一の現存遺構で元は二の丸御殿の門でした。現在も二の丸の高校敷地内にあります。 Pic7 大井戸、二の丸にある井戸です。忠勝築城の際につくられたもので、底知らずの井戸と呼ばれていたようです。周囲17m、深さ20mある日本一大きい井戸です。 Pic8 下から見た上の丸、本丸から西に位置する郭です。 Pic9 上の丸跡、現在は公園として整備されています。 Pic10 本丸土塁、本丸周囲の土塁です。 #城 #城跡 #続100名城 #続日本100名城 #続百名城 #続日本百名城 #続百名城スタンプ #城めぐり #城巡り #大多喜城 #本多忠勝 #本多忠朝

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